個人的なブランド雑学
GUCCI(グッチ)
COACH(コーチ)
PRADA(プラダ)
アパレルの名称
靴のブランド
運営中サイト
パパとママとムスメ×2
出品中ヤフーオークション
個人的なブランド雑学
.
ストアー
その^^
家族でおでかけ
その^^
日本の歴史
その^^
実は無類のゲーム好き
その^^
犬の品々
GUCCI(グッチ)
★創業精神
グッチの創立者は、グッチオ・グッチ(Guccio Gucci)は1881年に帽子を製造する家に生まれました。20世紀はじめごろ、ロンドンのサヴォイホテルでエレベーターボーイとして働き始めました。このころにホテルを訪れた上流階級のエレガンスを吸収、フィレンツェに戻るとアンティークショップに勤め、その後皮革会社で貿易やマネージメントを学び、第一次大戦後はレザークラフトの会社に入り、革の選別法やメンテナンスを覚えローマ支社の支配人となりました。そこで彼は、見事に経営手腕を身に付けついに1921年フィレンツェのヴィグナ・ヌオヴァ通りに自分の店を開店しました。23年にはパリオーネ通りに2軒目の店を開きました。品質保証をするために、世界で初めてデザイナーの名前を入れたダブルGのモノグラムを販売しブランド商品の元祖となる。38年ローマのコンドッティ通りに店をオープン。「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のよいものを現代に反映させる商品作り」をコンセプトとする。
★戦乱の中・・・
戦争中には、牛皮が不足し、バッグ業界では代替の素材を考えざるを得なくなり、裏皮に使われていたブタ皮を表皮に使うようになりました。中でもグッチは高級感あふれる仕上げの技術で高評価を得ていました。グッチの定番ともいえる持ち手に竹を使ったバンブーバッグが登場したのは1947年。第二次世界大戦中、経済制裁されたイタリアで革の大半を輸入に頼っていたグッチは困難な立場に立たされ、今ある革を少しでも減らさないように持ち手を竹で代用したのがバンブーバックの始まりです。
★出店ラッシュ
40年代後半にロンドン、パリ、50年代にニューヨーク、ロサンゼルス、60年代にはバンクーバー、東京、ケープタウンと海外市場にぞくぞくと進出。グッチオの三男がハリウッドで映画関係の仕事をしていた際、グッチ製品を映画の小道具として使いアメリカの女性の間で好評を得る。エリザベス・テーラー、オードリー・ヘップバーンらハリウッドスターや、ジャクリーヌ・ケネディら世界各国の“セレブリティー”たちの御用達となって絶大なる人気を誇りました。1956年、モナコのレーニエ皇太子(現国王)と女優、グレース・ケリーの結婚式の招待客の贈り物に選ばれたのは、グッチのスカーフでした。
★グッチオ死去から
グッチオは1953年に死去しました。
グッチオ亡き後は、息子アルドが経営の中心となり、ビットモカシン、レディスウェアを発売。70年代には香水も発売されました。しかし、80年代に入ってから、親族間で争い起きてしまいました。その影響もあり、グッチのブランドとしての勢いも低迷し倒産すら噂されるほどに経営が悪化している状態になりました。
グッチは当時、グッチオの4人の息子、アルド、バスコ、ウーゴ、ロドルフォにより経営と運営をしておりました。しかし、アルドの息子パウロは父に反抗をしてしまいます。パウロは、グッチは高級品だけではなく、いわゆる平場にも置けるような低額商品にも進出するべきと考え、独断で「PGコレクション」、続いて「パウロ・グッチ」を展開しました。これが一族の大反対を受けて、パウロはファミリーから追放されてしまいます。パウロは反撃に転じ、米国CBSテレビのドキュメント番組「60ミニッツ」で「取締役会において暴力による制裁を受けた」と発言し、父親を脱税の罪で告訴しアルドは逮捕されました。当時、一族の中で後継者と目されていたのは一番仕事熱心だったロドルフォの息子、マウリッツィオだった。パウロは父親の影響力を排除するため、自らの持ち株をマウリッツィオに提供しました。逆にアルドら他のファミリーはマウリッツィオに反抗する形で株をアラブ系投資グループのインベストコープ社に売却しました。マウリッツィオは3代目の後継者となり、沈みかけた船を任されることなりました。
この状況下でも、マウリッツィオは努力に努力をかさね、1989年グッチ復興を願って当時、バッグドーフ・グッドマンの女性社長だったドーン・メロウをクリエイティブ・ディレクター兼副社長として招きました。彼女はジェフリー・ビーンのデザインチームにいたリチャード・ランバートソンを採用しました。
彼女がレディスのデザイナーに採用したのが、チーフデザイナー、マーク・ジェイコブスが率いる「ペリー・エリス」で同社のブリッジライン、スポーツウェアをデザインしていたトム・フォードです。トム・フォードは、ほとんど一人でウェア、アクセサリー、ギフトなどグッチの11にも及ぶラインのデザインを手がけ、91年には中断していたウェアコレクションを復活させました。
トム・フォードは1962年、アメリカ、テキサス州に生まれ、演劇、コマーシャル業界を経て、パーソンズ・スクール・オブ・デザインでインテリア・アーキテクチャーを専攻。ペリー・エリスなどでキャリアを積み、90年にグッチのデザインスタッフにくわわりました。スタイリッシュなコーディネートとゴージャスな素材使いで、イメージを大幅に刷新しました。その鮮やかな手腕で世界中にグッチ・ブームを起こしました。
しかし、沈みかけた船は、もはやどうしようもなく、マウリッツィオは1993年、インベストコープ社に株のすべてを譲渡しグッチは70年に及ぶファミリー企業としての体制に終止符を打ちました。2代目アルドは既に90年に死去しており、マウリッツィオも93年に離婚した元妻パトリシオに95年射殺され、その生涯を閉じることなります。
★再建
インベストコーブ社は再建に着手し、グッチ・グループN.V.社が設立されました。弁護士の資格を持ち84年からグッチ・アメリカ社の社長だったドメニコ・デ・ソーレがCEOに就任。もはや、自分の役割は終わったと思ったドーン・メロウは古巣のバッグドーフ・グッドマンに戻ったが、このとき自分の後任のクリエイティブ・ディレクターにトム・フォードを推薦しました。
トム・フォードはマウリッツィオから指示されていたエレガンスなクラシック路線ではなくファッションモードを打ち出し、94年10月のレディスコレクションでは、「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンをイメージしたフェミニンなスカートやキュートなモヘアセーターを発表しました。
やがてトム・フォードのデザインは人気を集め、売上はどんどん上がるようになりました。
インベストコープ社は株を公開し、グッチはイタリア・ファッション産業界の中では、初の株式を完全公開した企業となりました。
★グッチのデザイナー
1989年 - ドーン・メローが社長兼クリエイティブディレクターに就任
1990年 - トム・フォードがレディースウエアのデザイナーに就任
1994年 - クリエイティブ・ディレクターに就任
2004年 - トム・フォードが辞任。レディスウェアのデザイナーにアレッサンドラ・ファキネッティ(Alessandra Facchinetti)が就任。メンズウェアのデザイナーに、ジョン・レイ(John Ray)が就任
2005年 - レディスウェアのデザイナーにイタリア人であるフリーダ・ジャンニーニ(Frida Giannini)が就任
2006年 - メンズウェアのデザイナー、ジョン・レイが辞任。
★偽物?本物?見分け方ポイント
偽物は多くあります。多くが中国や韓国で製造されていると言われています
鑑定方法
その1
布袋を見ましょう。現在グッチの保存袋は黒っぽい袋です。
保存袋の裏に、GUCCIのタグが縫い付けられていますのでタグの裏の番号も見てください。
その2
取扱説明書とはグッチの革製品を購入すると取扱説明書が付いてきます。中を開けると英語、フランス語、イタリア語、日本語で説明が書かれています。しかしこの取扱説明書は付いてない場合もあります。取扱説明書がきちんと付いている場合は本物の可能性が高いということです。
その3
革製タグですが、バッグを開けるとチャック付きポケットの下にタグが縫い付けてあります。丸にはR、そしてGUCCI、made in Italyの順に刻印されていますので確認しましょう。
その4
バッグのチャックに付いている取手にはGUCCIのロゴが刻印されています。
グッチは革でできているのが普通です。金属がむき出しになっていたりしたら、疑って下さい。GG柄でよくあるのが柄のズレですが大幅にずれているのは不良品といえます。