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PRADA(プラダ)


★はじまり・・・
 1913年創業しました。創業者のマリオ・プラダと兄弟が、ミラノに皮革製品のインポート・ショップをオープンしました。マリオはヨーロッパやアメリカを旅してまわり、皮革、銀器、クリスタルなどを洗練された一流品を多く集めました。それらの素材を靴づくりに生かし、上流階級で話題の商品となりました。

★マリオ死去
娘のルイーザ・プラダが店を継ぎ、プラダは革製品を扱う伝統店として続いていました。、時代の変化とともに豪華な品々は人々のライフスタイルにあわなくなり、経営危機に陥っていました。その後、ミウッチャ・プラダがビジネスに加わりました。そして、72年パトリツィオ・ベルテッリとの共同ビジネスを開始しました。マリオの孫娘ミウッチャ・プラダと、夫のパトリッツィオ・ベルテッリがファミリー・ビジネスを引き継ぎ、再びファッションブランド界の前線に返り咲きました。「ボコノ」と言われる、軽くて強い、防水性にも優れた素材を使ったバックを開発。実はこのボコノは、もともと祖父マリオがアメリカから輸入して旅行鞄に使用したものだが、ミウッチャはこのナイロン生地を用いてリュックサックなどの軽くてカジュアルな鞄を製作し人気が出ました。シューズコレクションを発表しました。カジュアルなナイロン地であるポコノを使ったハンドバッグやリュックが大ヒット!。88年レディースコレクションを発表し、1989年からウェアラインがスタート。92年セカンドライン「ミュウミュウ」、94年メンズコレクションを開始。98年、「プラダ・スポーツ」発表、秋からは「アクティブスポーツ」というスポーツラインが登場。赤いラインが特徴です。黒やグレーを中心とするカラー展開で赤のラバーロゴをトレードマークとし、合成ゴムや得意のナイロン素材を駆使して都会的なスポーティー・カジュアルを打ち出しています。

★飛躍
 1999年、3月「ヘルムート・ラング(HELMUT LANG)」を買収しました続いて「ジル・サンダー(JIL SANDER)」を買収し、イギリス靴の「チャーチ(CHURCHS)」も買収。LVMHと共同出資により「フェンディ(FENDI)」も買収しました。日本法人はプラダ本社100%出資のプラダ・ジャパンに、ジル・サンダー、ヘルムート・ラング、チャーチの各ブランドと、アイウェアのEID、コスメティックのCIDの6社があります。すべて独立法人になっております。
日本市場の戦略は事実上、プラダジャパンが統括して戦略を実施しています。また、物流やITなど企業基盤の共通化も進めています。
プラダのビューティラインとして発売されている基礎化粧品はそのデザインが注目をあびています。 薬さながらのシンプルかつストイックな形状「透明フィルムの袋から使いきりタイプの容器に入った化粧品がのぞいている」は、広告で化粧品の効能を長々と述べる以上に、化粧品の鮮度と機能性を消費者の視覚に訴求しています。東京・銀座中央通りのセフォラ跡地に国内最大級のブティックをオープン。南青山にジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロン設計の国内最大の旗艦店「エピセンター・ストア」をオープンしました。伝統を継承しながら、時代のニーズを捉え次々に魅力的なアイテムを発表し人気ファッションブランドとしての位置づけを確固たるものにしていると思います。

★目利きプラダ!
偽物一番がプラダだそうです。プラダはもともつくりは雑にできている物です。そのために偽物が多いのが現状です。ナイロン物も、偽物の方が良い物を使っていたりするから困ったものです。市場に出回っている8割が偽物だと言われているそうです。

その1
裏側の製造番号
購入時についているプラスティックのカードは重要です。型番やカラーなどが印刷されているか刻印されているか?印刷の場合は、ホログラム処理されているはずです。裏に押してあるスタンプは正規代理店であると安心できます。
表のロゴの周りを取り囲む鎖の中には点がうってあるはずです。また右下の結び目から8番目の鎖の点が他のものより小さい事が最近、信用されている本物のあかしとされています。

その2
リュックの場合、紐を通す穴の金具部分をみて曲がっている。ぶらぶらしている。トンカチでたたいた様なあとがある。ものは要注意です。

その3
三角エンブレムにも注意してみて、台の接着剤がはみ出していたり、周囲の二重スティッチの縫製が粗いや斜めについているものは要注意です。

その4
財布などの表面に刻印がされているものがある。本物はきちんと型押しされています。

いずれにしてもプラダは誰も考えなかったナイロン地を使って、軽くて汚れにくく、そして使いやすいバッグを作り、現代的で革新的な素材使いやデザインの斬新さは男女問わず絶大な支持を得て人気商品ということにはかわりありませんね。



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